[NEET] [B型] [変人] (3大社会悪!?) のKAZがいろんなものを独自な視点で述べまーすよー。
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 前回に続いて、おごるということについて考えます。今回は、「おごられる」ということに対する自分の考え方を述べたいと思います。
 
 例えば、お金を持っていなくて飲み会で3000円おごられるとします。
おごってくれた人が
 1.月収100万円もある人
 2.時給800円のコンビニで働いている人
の場合ってどういう風に思いますか?2の人の方におごられた場合は、1の人におごられた場合よりも悪いなぁって思いますか?それとも同じように思いますか。

 私はお金を出すべきだなって思う場合では、1のようなふりをして払うこともあります。「そんなに気にしないでね」っていう意味です。でも、よーく考えてみてください。お金の額は一緒で、おごられる私にとって3000円の価値も同じなわけです。その人の背景によって変わってしまうというのはおかしな話じゃないでしょうか。

 おごってくれる人は、私におごるために労働のような社会に価値提供をしてその対価をくれているわけです。私におごるために、何時間か働いているのです。つまり、私のためにその人は貴重な時間を費やしてくれているわけです。もっと言うと、私にあなたの時間の一部をくれているって考えることもできるんじゃないでしょうか?

 逆に言うと、自分が今時間はあるけど金がないとして、時給800円のバイトを4時間してまで人におごろうとしますか。そんな時間がないと思う人、その人は今自分に使っている時間の一部を削って、例えば睡眠時間とか、そしてその時間をつかってバイトしてまで人におごろうとしますか?これって、なかなかできることじゃないですよね。
 でも、3000円という価値から考えると一緒であり、自分がするとしたらそこまでしなくちゃいけないことをしてくれるわけです。だから、悪いって私は感じるんです。

 私は、「お金で人の心は買える」ってのはある面で当たっていると思います。文字通り受け取ると変な誤解を受けますが、自分が苦労して稼いだお金を気持ちをこめて、人のために使う。その結果、その受けた人がお金だけじゃなくその価値と気持ちを理解して動かされる。これって健全な形ではないでしょうか。
 
 『気持ちを込めたお金で人の心は結果的に買えることがある』

といった感じでしょうか。 
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